はじめに
早いもので、今年も3月になりました。
緊急事態宣言が解除されはじめた都道府県も出てきていますが、徐々に新しい生活様式が確立されてきている気がします。
本日は、以前の記事(【ヴィンテージティファニーの世界と魅力】100年に1人の天才・ジュエリーデザイナー ジャン・シュランバージェ | Jean Schlumberger )に続き、1970年代からTiffanyで活躍しているデザイナー・エルサ・ペレッティ氏について書いていきます。
エルサ・ペレッティについて
意外と知られていない事実かもしれませんが、エルサ・ペレッティはイタリア出身のデザイナーです。今では、「デザイナー」と「慈善活動家」としての2つの顔を持っていますが、それ以前は非常に多才な方で、キャリアの初めの頃(1964年〜1968年)にはスペインのパルセロナで「モデル」としても活躍していました。
Tiffanyのデザイナーを務めているのだから、当然ニューヨークに住んでいる人なんだろうと思う方が多いかもしれません。
しかし、実際はスペインとアメリカを行き来する生活を送ってきており、1968年にはニューヨークに移住しましたが、同年に既にスペインのバルセロナから北東に進んだところにあるジローナ県の村に家を購入しており、早くからこの村の発展に貢献していました。”Església de Sant Martí Vell”という16世紀に建造された教会の修復活動にも参加しており、単純にジュエリーのデザイナーだけではない方です。
こちらは、個人的な予想ですが、エルサがデザインしたシルバー製品には「スペイン製」の物が多いです。これは、この村が関係しているんじゃないかなと。コロナが落ち着いたら行ってみたい村です。非常に興味深い。
エルサ・ペレッティのキャリアについて
エルサ・ペレッティは1940年にイタリアのフィレンツェでPeretti家の末っ子として生まれました。
Peretti家は、1933年にエルサ・ペレッティのお父様が”Anonima Petroli Italiana”というイタリアで最も規模の大きい石油会社を設立しております。
言う慣れば、エルサは「スーパーお嬢様」です。
しかし、その反面、設立から成長を続けていた企業だったので、家族内でエルサは両親と疎遠であったというエピソードがあります。
上述したとおり、1964年(24歳)からモデルとしてのキャリアをスタートしていますが、それまではローマとスイスにて教育を受けていました。
あくまでも、個人的な予想ですが、エルサは「スペイン語、英語、イタリア語、ドイツ語」が堪能だと思います。
64年からモデルとして活躍していましたが、28歳のときにニューヨークへ移住します。
ここでも、モデルとして活躍しており、1970年代頭ごろは”Karen Bjornson”, “Anjelica Huston”, “Alva Chinn”など、錚々たるメンバーと一緒にRoy Halston Frowickがデザインした洋服のモデルを努めていました。
1969年からジュエリーデザインをマンハッタンで開始。
71年にはHalstonのジュエリーもデザインしていました。
74年にはTiffanyと契約を交わし、79年にはTiffanyのリードデザイナーとして活躍していました。
Tiffanyでのエルサ・ペレッティの活躍については、Tiffanyの公式サイトでまとめられています。
エルサ・ペレッティの代表的な作品
日本では、やはり「オープンハート」が一番認知度が高いのではないでしょうか。
近年では、ヴィンテージティファニーの中でも、70年代に製造されたエルサの「ボーンカフ」のバングルなどが注目を集めています。
この辺りのエルサがデザインした物には、製造された年が打刻されているのがコレクター魂をくすぐりますね。
エルサ・ペレッティの作品の刻印
ヴィンテージ品であれ、現行のものであれ気になるのが「刻印」です。基本的に、エルサの「ネーム刻印」、「ブランド刻印」、「金属品位の刻印」、「製造国名」そして「年代刻印」から成り立っています。
これは、非常にアメリカらしいのですが、上記の組み合わせの「年代」「国名」無しも普通です。
エルサの製品は70年代や80年代に作られたものでも年代の刻印が打刻されている物と打刻されていないものがあります。
恐らく、「バングル」、「ベルトバックル」のような大きめのものに対して年代刻印が打刻されており、オープンハートの様な小さく、打刻スペースが無いものは打刻されていません。
また、現行のものに関しては全て年代が打刻されていないと理解しています。
こちらは、全て確認できていないので、間違っていたら申しわけありません。
国名に関しては、デザインによりけりです。
まとめ
いかがだったでしょうか。
意外と知らなかったことが多かったのではないでしょうか。
これは、あくまでも個人的な見解なのですが長く成功するデザイナーさんって、世界的に見たら「お坊ちゃま、お嬢様」が多い気がします。なぜかというと、感性が磨かれるときに良いものを見てきて、ある程度心身ともに「余裕」があるからです。さらに大成功を収めても、特にヨーロッパなどの家は富裕層であればあるほど厳格な教育が施され、お金に対する考えも、かなりシビアです。
そのため、一発当てたからといって稼いだ金を使い込むのではなく、何かしら稼いだ一部を社会貢献に使う傾向があります。
社会貢献活動を通してデザイナーとしての感性が刺激されつつ、継続的にデザインを行うモチベーションを維持し、長年良いデザイナーとして活躍できるのかもしれません。実際に、エルサ自身が、多くのものを見て触れることで感性が刺激されるとインタビューなどで答えています。
コロナが落ち着いたら、ジローナ県には行ってみたいですね。
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