【年代別刻印解説】アンティークティファニーのホールマークについて (1891-1902年)

この記事では、1891 - 1902年にかけてのアンティークティファニーのホールマークについて説明します。ティファニーは、1837年に創業したアメリカの高級宝飾メーカーであり、その名前は今でも高級宝飾品の象徴として知られています。

アンティークティファニーの刻印について

ホールマークとは、ジュエリーに刻印されたブランドや製造年月日を示す印であり、非常に重要性の高い要素です。
ティファニーの場合、刻印の内容が非常にシンプルですので、そこまで難しい分析や知識は不要ではありますが、知っておいて損はない内容ですので当時の貴重な資料をもとに解説していきましょう。

1891-1902年に使われていた刻印

1891年から1902年の期間に作られたアンティークティファニーの宝飾品には、アイキャッチ画像に使われている形式で刻印が打ち込まれています。
既に画像を見ていただいていると思いますが、今回の刻印では" T "の文字が見られのが大きな特徴です。

Makersの左右の数値について

左側は”Pattern Number” / 右側は” Order Number”です。

Pattern Numberで、より具体的な製造年を判別します。
Order Numberは、当時の注文番号です。
個人的な考えだと、当時はオフラインで紙ベースでの管理だったので社内の売上管理のためにも打刻していたのだと考えています。

925-1000の下のアルファベットについて

今回のアルファベットは、" T "です。
お気づきの方もいるのではないでしょうか。
この"T"刻印は、Tiffanyの創業者 チャールズ・ルイス・ティファニー ( Charles Lewis Tiffany )の"T"を指します。
1837年創業で、1891-1902年に使われていた刻印に創業者の" T "が?
と少し疑問に思う方もいるのではないでしょうか。

それもそのはず。
1891年の時点で、氏は既に79歳です。
とっくに引退していてもおかしくない年齢です。

実は、ここには一つ大きな理由があります。
Tiffany社を製造・生産・デザインの面から支えたMoore家のEdward Chandler Mooreが1891年に亡くなりました。

彼は、1875年-1891年の刻印に関与しています。

おそらく、彼の後任がいなかったため、氏が前線に戻ったのが理由の一つと思っています。

ちなみに1902-1907のCharles T. Cook氏は、チャールズ・ルイス・ティファニー氏の親友でもあります。

ここからは資料が少ないので憶測も含まれますが、1891年11月30日というのは、チャールズ・ルイス・ティファニーと氏の奥様Harrietさんとの結婚50周年でもあります。

ちなみに、このHarrietさんは、創業時の仲間(学友)John B. Young氏の妹。

そして、1902年はCharles Lewis Tiffanyが他界した年。
享年90歳でした。(厳密には1902年2月18日)

おそらく、結婚50年目を新たな節目とし、Moore家のEdwardさんが他界した事も重なり、自身のゴール(働ける残りの時間 / 寿命)を逆算した上で、人生の最後までを品質管理という大事な業務にも携わりたいという思いから改めて" T "刻印を利用する事を決めたのだと思います。

個人的な見解ですが、相当真面目でストイックな方だと思います。
単純に「一儲けしたい」という生半可な考えで成せる事ではないです。

まとめ

チャールズ・ルイス・ティファニーは、25歳の若さで自分の会社を創業しました。彼が英米の血筋であったことも、シルバー製品を取り扱うという決断に影響を与えたのかもしれません。彼はイギリスから銀製品の文化をアメリカに輸入し、自身が作った会社に生涯を捧げました。彼は90歳まで現役であり、「生涯現役」という言葉がぴったりの人生を送りました。

アメリカに住むさまざまな国籍の人々は、自分たちの「アイデンティティー」を大切にする傾向があるようです。日本では、なぜか「自己否定的」な人が多いように感じますが、アメリカ人にはそのような傾向は見られません。彼らは自分たちのルーツの国の文化を大切にする思いを持っています。

映画「ゴッドファーザー」を観たことがある方は、同じような雰囲気を感じたことがあるかもしれません。作中で、「俺たちにはシチリアの血が流れているんだぜ。」という言葉があり、イタリアのピザやパスタ作りのシーンが出てきます。

おそらく、チャールズ・ルイス・ティファニーも、当時アメリカで成功した人たちがヨーロッパのファッションや文化を積極的に取り入れていた時期に、自分自身のルーツでもある「イギリス」の銀製品文化をアメリカに広めたかったのではないでしょうか。

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